未来の金融をデザインする

主に経済や金融に関する記事や開催した読書会や勉強会の報告を書いております。

「市場を創る」読書会_開催報告_2016年4月30日(土)

2016年のGW二日目の4月30日にジョン・マクミラン著の「市場を創る」を題材に金融経済読書会を開催ました。FEDでは2015年は「組織の経済学」を、そして2016年は「法と経済学」を輪読の課題図書として取り上げました。

市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える

市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える") (叢書“制度を考える”)

組織の経済学

組織の経済学

法と経済学

法と経済学

これらの輪読をする中で、改めて市場との付き合い方を考える必要があると思い、「市場を創る」、「Who gets What」、そして「マーケット進化論」の3冊を、市場3部作として、金融経済読書会で課題図書とすることにしました。

今回は3部作の中での最初の1冊となります。「市場を創る」の原題は、「 Reinventing the bazaar -A natural history of markets」となっているように、昔からあるバザーのような市場から、ネットでの取引やネットオークション等、様々な市場の進化が紹介されています。
本書において、市場がうまく機能する条件として以下の5つが挙げられています。

  1. 情報がスムーズに流れること (第4章:情報の非対称性とインターネット )
  2. 人々が約束を守ると信頼できること (第5章:信頼と特殊的投資 )
  3. 競争が促進されていること (第6章及び7章:オークション理論 )
  4. 財産権が保護されているが、過度には保護されていないこと (第8章及び9章:所有権及び特許権 )
  5. 第3者に対する副作用が抑制されていること (第10章:外部性 )

逆に言うと、上記が適切に満たされていない場合は、市場が有効に機能しない可能性があります。アダムスミスから始まり、フリードマンに至るまでの系譜において「市場に任せればうまくいく」と一般的に理解されがちですが、決してそういうわけではなく、市場もきちんと設計しなければうまく機能しないこととなります。

現在の日本における新たな市場の萌芽といえば、2016年4月から始まった電力小売全面自由化に伴う「電力市場の自由化」があげらます。本書においても、14章において、電力市場の自由化が取り上げられているものの、内容としてはカリフォルニアの大停電といった失敗の事例です。ここでは、まさに市場の設計がうまくできなかったために、失敗した例として紹介されています。
さて、当日のディスカッションでは以下のような議論が行われました。

  • 第8章:所有権について。子供を見ていると、子供は生まれながらにして、所有をするということに対してこだわりがあるのではないのかと感じることがある。
  • シェアリングエコノミーについて。最近は所有することに必ずしもこだわらずにシェアをするという現象が起きている。この背景にはインターネットとSNSの普及が大きいものと考えられる。
  • クラウドワークス、ランサーズ等のクラウドソーシングが新たな労働市場を開拓している。派遣と請負契約の違いとクラウドソーシングのあり方について。
  • 人々の生活が見えるようになって、 格差は広がっているのではないか。もしくは元々生活には格差があったのだが、SNSを通じて、より格差を感じるようになってきているのではないか。
  • 他者の目があるから行動するということが増えてきているのではないか。そういった場合、他社がいなければ成り立たないのか。
  • 市場のルール作りについて。パフォーマンスをよくするためのルール作りも必要ではないか。
  • インターネットを通じて、新たな市場が生まれてきた。
  • 労働法に関心を持っている。現在の労働法は実態に合わないのではないか。

次回は、メカニズムデザインの分野でノーベル経済学賞を受賞したアルビン・ロスによる「Who gets whats」を取り上げます。

第3回法と経済学勉強会_開催報告_2016年4月3日(日)

4月3日に第3回法と経済学勉強会を開催しました。

法と経済学

法と経済学

第1回目と第2回目では、第1編の所有権法を扱いましたが、第3回目となる今回からは第2編に入り、事故法を扱うこととなりました。今回は「第8章責任と抑止:基礎理論」、第9章「責任と抑止:企業の場合」の2章について学びました。

事故法における基本的なシチュエーションは、例えば自転車事故のような事故が起こり、加害者と被害者がいる場合、責任は誰が負うのかというものとなります。常識的な考えでは、「もちろん加害者が責任を負うべき」となりがちですが、法と経済学では、ありとあらゆる場合を想定したうえで、「社会的な費用が一番少ないのはどういった責任ルールを課した時か」ということを考えることになります。

具体的には、加害者がまったく責任を負わない「無責任ルール」、加害者は事故で生じた損害をすべて負担する「厳格責任ルール」、そして加害者に過失があった場合のみ加害者は損害の責任を負う「過失責任ルール」の3つのルールを軸に、社会的なコストについて考えて行くこととなります。

興味深いのは、加害者が一方的に事故を起こす「一方的事故」と加害者と被害者がともに行動したことで事故が起こる「双方的事故」において、上記3つのルールの下で、それぞれ加害者や被害者がどのような注意を払うかによって、社会的厚生の最適値は変わってくるというものです。例えば、一方的事故において、「厳格責任ルール」の場合は、加害者は、損害について厳格な責任を負うので、注意水準を踏まえて上で一番被害が少なくなるように行動するインセンティブを持ち、この行動が結果的に社会的に最もコストを小さくすることに結びつくこととなります。

他方、加害者が損害の責任をまったく負わない「無責任ルール」では、損害を被るのは被害者のみとなるので、加害者はまったく注意を払わなくなり、結果的に社会的に損害が「厳格責任ルール」よりも多くなってしまいます。

最後に「過失責任ルール」を採用した場合は、加害者は過失がなければ損害の賠償をする必要はないので、過失とならない注意水準を適正に裁判所が設定することが出来れば、加害者は過失がないように行動をするようになり、結果として社会的に最もコストが少なくなります。そして、結果だけをみれば厳格責任ルールと同じ結論をもたらすこととなります。

興味深いのは、上記のルールいずれにおいても被害者も加害者も合理的な行動を取っている点です。無責任ルールにおいては、加害者が損害の責任を負わないため、まったく注意を払わないということが加害者にとってベストな選択となり、この状況においては倫理的に問題があるといったことはイシューにはなりません。加害者はあくまで「無責任ルール」のもとで合理的な行動をとった結果、社会的には損害のコストが他のルールよりも多くなったというだけです。

市場に任せておけば、個々人が自身の利益を最大にするように行動し、結果として最適な資源配分が達成されるというのが、ざっくりとした経済学の考え方と思われがちですが、自転車事故のような事故一つをとってみても、上記のように「無責任ルール」、「厳格責任ルール」、「過失責任ルール」のどれを採用するかで、個々人の利益を最大にする行動は変わってきますし、結果的には社会全体のコスト負担も変わってきます。今回の会ではシンプルなシチュエーションを考えてみただけでも、如何に制度を作るのかが重要で、そして難しいかということを学べました。

会の後半では、加害者が企業となる場合を想定し、被害者が企業の顧客と関係がない場合と企業の顧客の場合それぞれにおいて、どのルールを用いれば、企業の行動はどう変わるのかについて学びました。

アイロボット社のロボット掃除機「ルンバ」に関して、日本のメーカーも技術的には同様のものを作ることは出来たし、実際にはプロトタイプも出来ていたと言われています。しかしながら、日本メーカーは「仮にロボット掃除機を販売し、ロボット掃除機が仏壇にあたってろうそくが倒れて火事になったら、損害を賠償しなければならない。」といったことを気にしたせいで発売に踏み切れなかったという話があります。他方、アイロボット社は「重要なことは家庭での掃除の負担を減らすこと」という点をイシューと捉え、上記目的を達成するためにルンバを発売したそうです。

上記の例からも分かるとおり、日本のメーカーは厳格責任ルールを意識するあまり、企業行動が萎縮する一方、海外のメーカーは必ずしもそうではないといった議論もあります。

最後の方ではそれぞれのルールのあり方と企業行動のインセンティブについても色々と議論を行いました。非常に渋いテーマではありますが、個人的には学びと気付きがとても多い会となりました。
次回以降も引き続き事故法を扱います。ご興味がある方は是非ご参加いただければと存じます。
勉強会資料
日本の家電各社が「ルンバ」を作れない理由 国内製造業の弱点はそこだ!!

「知識創造企業」_金融経済読書会Classic_開催報告_2016年3月19日

なぜ今、知識創造企業を取り上げるのか?
主に古典を扱う読書会である金融経済読書会Classic。今回は野中先生と竹内先生が元々は英語で書かれ、日本語に翻訳され逆輸入された形で日本で発売された「知識創造企業(以下、「本書」)」を扱いました。本書を取り上げたきっかけは、今後人工知能やテクノロジーがさらに進化していく社会で、恐らく多くの知識が今まで以上に形式知化され、人の仕事はコンピューターに一部置き換わっていくことが予想される中、人間の強みは暗黙知を持っていることではないか、という問題意識からきています。実際に読んでみたところ、20年以上前の本ですが、今読んでも非常に示唆が富んでいました。
知識創造企業

知識創造企業

例えば、ここ数年流行のリーンスタートアップやデザイン思考の文脈でよく言われるような、ラビッドプロトタイピングや観察(エスノグラフィー)の重要性といったことは本書でもすでに指摘されています。

一方で、知識創造企業としての新しい組織構造として「ハイパーテキスト型組織」があげられており、ハイパーテキスト型組織への移行途中の企業の例として花王が、そして完全にハイパーテキスト型組織へ移行している組織の例としてシャープが取り上げられていますが、現在のシャープの状況を鑑みるに、20年前のように本書で指摘されてる知識創造企業の完成系の組織として今もハイパフォーマンスを発揮しているとは残念ながら言えないものと思われます。
このように今でも十分通用することが書かれている一方で、事例を後追いしていくと、必ずしもその後の企業が引き続き知識創造企業になっていないというのが興味深いところといえます(ビジョナリーカンパニーで取り上げられている会社にも同様のことが言えると思いますが…。)。

当日のディスカッション内容
当日の読書会では以下の二つの論点を扱い、それぞれ二つのチームに分かれて議論を行いました。
1.なぜ日本企業はうまくいかなくなったのか。
2.知識創造企業の例は製造業のみだが、製造業以外の業種にもSECIモデルは適用可能なのか。

1.では以下のような意見等がありました。

  • 組織の硬直化が原因ではないか。日本の企業は人材の流動性が低いことがあげられる。
  • 危機感の共有が出来ていないことも大きい。また、失敗が許されない文化があり、そのため、SECIモデルがうまく機能しなくなっているのではないか。
  • 同一の人が集まりやすく、社内に多様性がない。
  • 人材が流動化していくことが重要。ダイナミズムを動かしていく多様な人材のプールが必要。また社外のつながりもこれまで以上に求められるようになっている。
  • 環境の変化が大きい。今の日本企業は外部環境の変化に対応しきれていない。シャープは本書ではマネをしない企業と書かれていたが、現在はマネをするようになった。
  • 同じく野中先生が著者の一人となっている「失敗の本質」に書かれているように日本企業は戦艦主義に陥ってしまった。また、シャープは経産省補助金をあてにしたビジネスになっていたのも大きいと思われる。

2.では以下のような意見がでました。

  • そもそも今では日本企業の定義が難しい。何をもって日本企業というのか。株主比率で外人が多いソニーは日本企業といえるのか。また、知識創造企業として日本企業が例にあげられているが、製造業以外ではどういった企業が知識企業といえるのか。
  • 商社は昔と比べて飲み会の回数は減っている。以前は、飲み会や社員寮を通じて、企業の文化的側面が強化されていたことがあったといえるが、今はかつてと比べてこの点は弱くなっているかもしれない。
  • イノベーションの源泉としては、知の探索と知の深化の二つが重要。前者においては、who knows who(誰が誰を知っているのか)、who knows what(誰が何を知っているのか)を知ることが肝要になってくる。かつては企業文化がしっかりしており、上記の知の探索も効果的に行われていたが、最近では日本企業(日本企業の定義はあいまいだが…)では知の探索が行われなくなってきているのではないか。
  • 日本の企業は意思決定に時間がかかりすぎている。通常は意思決定を早めるため、権限委譲を行う形として事業部制を用いられることがあるが、事業部制になってむしろ意思決定が遅くなっているケースも見られる。

当日は非常に盛り上がった議論となりましたが、その中でも共通の意見としてあったのは「日本はもはや知識創造企業ではないのではないか。では、なぜ知識創造企業でなくなったのか。」という点でした。日本の企業は環境の変化に対応が出来なくなったという意見もありましたが、本書のP5には「日本企業の連続的イノベーションの特徴は、この外部知識との連携なのである。外部から取り込まれた知識は、組織内部で広く共有され、知識ベースに蓄積されて、新しい技術や新製品を開発するのに利用される。」と書かれており、本書が定義する知識創造企業はむしろ外部環境の変化に強いと考えられるのが、解釈の難しいところです。

日本の企業は知識創造企業でなくなったのか?
早稲田大学ビジネススクール准教授の入山先生がハーバードビジネスレビューで連載されている「世界標準の経営理論」の第17回では「世界の経営学に『野中理論がもたらしたもの』」というテーマにを扱っており、この回ではSECIモデルと、ナレッジベーストビューが解説されています。
こちらに興味深いことが書かれているので、いかにて一部引用します。

しかし、いまはシャープに代表されるように、日本のメーカーの多くに当時の面影は見られない。この事実を背景にSECI理論の説明力を疑問視する意見も、筆者は聞いたことがある。
しかし、それは逆ではないだろうか。むしろ日本企業の多くが過去の成功体験からSECI理論の示唆を軽視し、一方でそれを今実現できているのが、欧米の有力グローバル企業ということではないか。例えば、社内で対話を促す「場作り」を重視する企業は、むしろ最近の欧米の有力な大企業によく見られる。(中略)
このように長きにわたり成功し続けているGEやトヨタを見ると、SECI理論の説明力は衰えるどころか、むしろ増しているとすら言えるかもしれない。

冒頭に書いたように、本書ではすでにラピッドプロトタイピングやプロトタイプの作成の重要性、またいかに個人の暗黙知を組織の形式知に転化させるのか、そして暗黙知を醸成するためにどのようにして企業文化を浸透させるのかといったことが指摘されています。去年ベストセラーとなった「How google works」等を読むと、上記は、まさに現在アメリカ西海岸のシリコンバレーの企業によって実践されているものだと思われます。
今後テクノロジーの進化や人工知能が発展していく中で、人間の強みはまさにSECIモデルが指摘しているような個人の暗黙知を組織的に形式知化するプロセスの循環となっていき、このプロセスを持っている企業が今後の知識社会では一層競争力を発揮するものだと考えます。

次回のclassicの課題図書はピーター・センゲの「学習する組織」?
読書会を通じて思考を整理していく中、本書は何度も読み直したいと強く感じました。そして。この流れを引き継ぐとなると、次に取り上げる本は、本書の2章でも言及され、そして批判もされているシステム思考でおなじみのピーター・センゲの「学習する組織」あたりかもしれません。
学習する組織――システム思考で未来を創造する

学習する組織――システム思考で未来を創造する

学習する組織の日本語訳は2011年に発売されていますが、元の本は1990年に発売されているということもあり、古典として扱ってもよいかと思います。500ページを超える大著ですが、興味がある人はいいねもしくはコメントを頂戴できれば幸いです。

当日の資料
ご参考まで
http://www.slideshare.net/fedjapan/20160319-59777359

マイナス金利と日本経済_FED特別勉強会_開催報告_2016年3月6日(日)

今年の1月に日銀がマイナス金利政策の実施を公表して以降、長期金利が初のマイナスになり、日本の経済、金融環境に大きな影響を与えています。そこで、マイナス金利政策の理解を深めるため、3月6日(日)にマイナス金利政策の勉強会を開催致しました。当日の資料はこちらとなります。

上記スライドを用いたプレゼンの後、チームに分かれてマイナス金利政策における論点出しを行いました。その結果、以下の6つの論点についてチームに分かれて議論を行うこととしました。

  1. マイナス金利下において、今後金融機関はどのようにして儲けていくのか。
  2. マイナス金利は企業行動にどのような影響を与えるのか
  3. マイナス金利によって家計はどのような影響を受けるのか。
  4. 日本経済全体から見た場合、マイナス金利は日本経済にどのような影響があるのか。
  5. マイナス金利政策はそもそもどのような効果が見込まれるのか。
  6. マイナス金利政策はグローバルではどのような影響があるのか。

当日はエコノミストの方やセントラルバンカーの方もお招きしたこともあり、非常に活発な議論がなされました。議論の中では以下のような意見がございました。

  • マイナス金利下で金融機関が儲けるのは恐らく難しい。また、マイナス金利の負担を家計に転嫁できないのではないか。
  • マイナス金利政策を実施したとしても企業の投資が増えることはないように思われる。すでに企業にはお金が余っている状況。新規投資を促すはベンチャーに企業にお金が回るような仕組みが求められる。
  • 住宅ローンの面では家計にもメリットがあるのではないか。
  • 前々から日銀がイシューとしている「デフレマインド」とはそもそも何か。本当に「デフレマインド」がイシューなのか。日本経済が今の状況から脱却するには構造転換の方が重要ではないか。
  • 日銀の独立性について家庭の例を用いる。親が国民、子が政府とした場合、中央銀行は家庭教師の役割を担っている。子どもが親から言われていることをしっかりと行っていない場合は、家庭教師は子どもに対してやるべきことを指導する必要がある。中央銀行はこの文脈での家庭教師の役割と似ている。
  • 日本がマイナス金利になると、国内での運用は儲からなくなるので、これまで以上に海外での運用が重要になってくる。またグローバル企業と非グローバル企業の差はますます大きくなっていくのではないか。

日本の経済や金融政策の動向の理解を深めるには、日銀の動向に加え、他の国の中央銀行の金融政策もウォッチすることが重要となります。今後もFEDでは、金融政策の観点からも今後の経済・金融の状況をフォローしていきたいと思っております。引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

ブロックチェーン勉強会_FED特別勉強会_開催報告_2016年3月5日(土)

1月、2月と開催したFintech勉強会の流れをくんで、3月5日に外部から講師をお招きして、ブロックチェーンについてご講演をいただきました。3時間ちかくの時間があったのですが、プレゼンと講師へのご質問であっという間に3時間がすぎました。質問コーナーが盛り上がりすぎて、FEDでは珍しく(たぶん初めて)参加者同士でのディスカッションをする時間がないこととなりました。

諸事情により講師と当日の内容を公開をすることは出来ませんが、世間ではまだあまりよく理解されてはいないことが多いブロックチェーンの仕組みについて、実務の点からビットコインブロックチェーンとそれ以外のブロックチェーンの違い、ブロックチェーンの応用分野について等、幅広に議論することが出来ました。

FEDでは引き続きFIntechの分野について勉強会やセミナーを開催したいと思っておりますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

第2回法と経済学勉強会_開催報告_2016年2月28日(日)_

2月28日(日)に第2回法と経済学勉強会を開催しました。

今回は、第5章「財産の利用における対立と協調:外部性の問題」、第6章「公共の財産」、そして第7章「知的財産」を扱いました。

法と経済学

法と経済学

第5章では、経済学でいうところの外部性の話をベースに、コースの定理、矯正税(ピグー税)、情報の非対称性、排出権取引資産効果といった経済学でおなじみのテーマを扱いながら、法制度やルールをどうやってデザインをしていくかと学びました。外部性の例としてあげられた一つが「会社における遅刻」です。

例えば9時が会社や工場の始業時間とする場合、9時から準備をして9時半の開店にそなえる場合や、工場を稼働させるために準備をすると行った場合、ある人の遅刻は他の人の仕事の生産性に影響を与えるため、負の外部性が存在しているといえます。他方、ホワイトワーカーの場合、正直なところ、9時が始業時間として、9時5分に出社したとしても、9時から会議やミーティングがない限り、他の人に仕事上影響をあたえる(外部性が発生する)ことは限定的かと思います。こういった場合でも本当に9時に出社すべき合理性はあるのかや、どういったルール作りが望ましいのか等を議論しました。

6章では、経済学で言うところの公共財について学びました。企業の会計監査を行う監査法人を公共サービスとして捉えた方がよいのではないかという提案に対しては、プリンシパルエージェンシー問題の点から、監査法人の選定については、2重のエージェンシー問題、すなわち、株主⇒経営者⇒監査法人が存在するのがイシューであって、株主の利益(公共の利益)を沿うように監査法人を選定できれば、必ずしも監査を公共サービスにしなくてもよいのではといった議論がなされました。

最後の7章では知的財産について経済学的な視点から議論を行いました。具体的には著作権や特許についてビジネス上、どう扱うか等活発な議論がなされました。

これまで「法と経済学」の本を用いて2回勉強会を開催して来ましたが、個人的には正直なところやや消化不足なところがあります。今のところ1回で100ページ程扱っていますが、もう少し扱うページを減らしてでも一つのトピックを深掘りした方が、理解が深まるのではないかと考えております。この辺りは進めながら参加者の皆様の意見を踏まえて、どうするかを決めていきたいと思います。

「Fintech革命」読書会_開催報告_2016年2月14日(日)

2016年3回目となる読書会では、前回と同じく日経BPムックの「Fintech革命」を扱い、ワールドカフェを行いました。今回はFEDに初めて参加された方が参加者の7割程を締め、主催者にも関わらず、ややアウェイな感じがしました(笑)

FinTech革命(日経BPムック)

FinTech革命(日経BPムック)

ディスカッションテーマは前回とほぼ同じく「Fintechは生活や働き方にどのような影響を与えるのだろうか?」でしたが、プレゼンの内容を前回と変えてみたり、ディスカッション中に音楽を書けてみたりと、少しだけ前回と変えたところもあります。今回のディカッションでは以下のようなことが議論されていました。

  • SNSソーシャルレンディングが発展する中、人からどのように見られているか日常から意識する必要が出てくるのではないか。ネガティブな表現がSNS等でみつかると融資がおりないこともありえる。
  • 働き方に関して、自分の仕事でいかに人工知能を活かすかが重要になってくる。他方、データを活かすことができる人材が社内にあまりいない。
  • 規制や個人情報保護法により情報を提供できないときもある。そのジレンマをどうするのか。また、データの扱いは性善説が前提とされているが、悪用される可能性もある中で、データとどう付き合うか。
  • 判断が伴う業務はAIにとって変わられる可能性がある。そのような状況においては、今後は今まで以上に高度な頭脳労働が求められるようになる。また、このような環境においては、共感力やクリエイティビティが一層重要になってくるのではないか。
  • Fintechが導入されることで、中小企業の業務改善に役立つ。例えば、中小企業がスクウェアを導入することで、これまで決済に使っていた時間を他の業務のための時間に使えるようになる。また、FIntechは不均衡の改善にも資する。Fintechを上手に使える人は今まで以上便利になる。また、これまで金融サービスの恩恵をうまく得られなかった人達もFIntechが進めば今までよりも容易に金融サービスにアクセスすることができるようになるだろう。ビットコインは管理者がいないという特徴があるが、マネーロンダリング等の不正資金について監視をどうやって担保するのかという課題が残る。
  • 日本特有の現金主義がまだ根強く。文化はすぐには変わらないのではないか。遠い未来というよりも2020年のように近い未来に何が出来るかを目処に現在ビジネスは動いている。

以上となります。次のFEDでのFintechの勉強会は3月5日(土)9時からを予定しまいます。テーマは「ブロックチェーン」で外部から講師をお招きする予定です。ご興味がある方はこちらにもご参加いただけますと幸甚です。