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未来の金融をデザインする

主に経済や金融に関する記事や開催した読書会や勉強会の報告を書いております。

FEDの目的

FEDの目的は未来の金融をデザインする場を提供することです。しかしながら、このことがすぐにFEDの存在意義につながるわけではありません。なぜならば、金融をつくる主体としては、ビジネスのプレイヤーである金融機関、金融機関を監督したり金融に関する制度を設計したりする政府(例えば、金融庁)、物価の安定を目的とする中央銀行(日本では日銀)、そして金融について研究を行っている経済学者等が存在するからです。では、FEDの存在意義とは何でしょうか。

このことを考えるために、まずは金融の仕組みを経済全体から俯瞰してみたいと思います。まず経済には金融サービスを提供する金融機関と、金融役務を受ける家計、企業そして政府が存在します。ベーシックな金融サービスを提供する主体としては、例えば銀行、証券会社、保険会社等が存在します。これらの企業はいわゆる「プレイヤー」です。

そのプレイヤーを監督するのが、政府や中央銀行です。政府や中央銀行はルールを制定し、金融機関はそのルールの中で金融サービスを提供することとなります。なお、ルールは時代とともに変わる、ということは大事な点です。かつて為替が固定相場だったのが、変動相場に変わったり、リーマンショック後にボルカールールが制定されたようにです。

そして、経済学者は政府や中央銀行がルールを制定するにあたり、理論的裏づけやデータによる実証分析を提供することで、助言を行います。

未来の金融を「デザイン」するのは?

金融は経済取引のプラットフォームを提供している、いわゆる「規制産業」です。金融のプレイヤー達は規制が存在する中で、試行錯誤することで金融イノベーションを起こしていきます。よって、未来の金融を創造するのはビジネスプレイヤーである金融機関ということになります。ビジネスを仮に「困っていることに対してソリューションを提供すること」と定義したとすると、金融機関は、金融のソリューションを提供することで、世の中の経済取引を円滑に進めるためのサービスを提供していることとなります。そして、そのサービスに対して、ルールという枠組みを当てはめるのが政府と中央銀行です。

ということは、未来の金融を「デザイン」するのも金融機関なのでしょうか。必ずしもそうとは限りません。なぜならば、金融機関の目的は利潤の追求であり、金融の全体像を考えることではないからです。金融のような「規制産業」では多くの場合、市場の失敗の原因といわれる情報の非対称性や負の外部性が存在します。そのような状況で、企業が利潤最大化を目指せば、どういったことが起こりうるのでしょうか。考えられる可能性としては、経済学の言葉を用いるならば、生産者余剰を達成するために、消費者余剰が犠牲になるということがあげられます。すなわち、社会全体の総余剰の最大化が実現できなくなるということです。例えば、サブプライムローン証券化して市場にばら撒いた投資銀行の行動は短期的には利潤の最大化を目指したものかも知れませんが、結果として経済に大きな傷跡を残しました。

このような「市場の失敗」が起こらないよう、金融機関を監督・規制するのが政府や中央銀行となります。しかしながら、金融に関するルール作りは必ずしも容易ではありません。また「意図せざる結果の法則」により、あることを規制したことで、別のところで非効率が発生する可能性もあります。これが「政府の失敗」です。では、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。それはルールを制定する政府関係者らが必ずしも「実務」に精通していないことが理由の一つと考えられます。

もちろんルールを制定するにあたり、政府が実務家の声を反映させているのは間違いありません。一方で、ルールの制定後、ビジネスの現場からルールに対する不満の声が上がってくるのも事実です。ユーザー保護のための金融商品取引法により、逆に金融取引が面倒になり、「ユーザーのためになっていない」と実務界から不満の声が続出したのは記憶に新しいと思います。

FEDの存在意義

政府はマクロ経済全体のためにルールを制定するも、プレイヤーやユーザーからは「現場」をわかっていないとの批判が出てきます。一方、マクロ経済全体を見てルールを制定する立場の政府からすれば、すべての人を満足させるのではなく、費用便益分析で、一部に犠牲が出たとしても、経済全体にとっては望ましくなるような意思決定をしているだけだ、と思うでしょう。

ここのギャップにFEDの存在意義があります。FEDでは、現場をよく理解した実務家達が、マクロ経済にとって、世の中にとって望ましい未来の金融をデザインする場を提供して行きたいと考えております。注意が必要なのは「必ずしもビジネスを目的としているわけではない」ということです。私達の目的は革新的な金融サービスを考えることではありません。それは、金融ビジネスが担う役割です。私達の目的は、個々の金融のミクロの実務を積み上げるとともに、理論を学ぶことでマクロ的な視点を持ち、「未来の金融のグランドデザイン」を行うことです。

金融のルールを制定するのは政府や中央銀行です。決められたルールの中で、イノベーションを起こすのが金融機関です。そして、実務の現場に詳しく、かつ金融イノベーションを起こすマインドを持った実務家達が「自分達で金融の未来をデザインする場」、もう少しやわらかく表現すると「今後どういった金融を目指していくのかを政府に任せっぱなしにするのではなく、自分達で考える場」を提供するのがFEDです。

自分たちで考える、それがFED

これまでの議論をまとめます。決められたルールの中で個別の金融サービスを提供するのがビジネス、法律とアカデミックをバックボーンに金融のルールを制定するのが政府(政策運営者)、そして、金融に関するアカデミックな研究を行うのが学会になります。そのような役割分担がなされている中、私達のミッションは、金融のユーザーである個人やプレイヤーである個人が、経済全体を見渡せる視野で物事を考えるための、そして未来の金融をデザインするための場を提供することです。このことを実現するために、経済及び金融の理論を学ぶとともに私達の実務が経済全体にとってどのような役割を果たしているのかを理解していくことが求められると考えております。

そして、私達が目指すのは、例えばサブプライムローンが氾濫する中で、実務に携る人達が「これはおかしい。」と気づけるぐらいの金融リテラシーを身につけるとともに、サブプライムローンや怪しい金融商品が氾濫するような世界ではなく、ユーザーにとってもプレイヤー(金融機関)にとっても望ましい金融の世界を個人自らでデザインする力を身につけられる場を提供することです。