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なぜ優秀な人から先に会社を辞めるのか 後編


前回はラジアの賃金モデルを使って、若年層は生産性よりも低い賃金となる一方で高齢期には生産性よりも高い賃金がもらえるという年功序列の仕組みについて説明を行いました。今回はこの年功序列の仕組みが結果的には「優秀な人ほど先に会社を辞める」現象を生み出している可能性があることについて書きます。

終身雇用と年功序列が機能した背景

そもそも終身雇用と年功序列が機能した理由として日本を取り巻く環境の特殊性があります。まず日本の労働市場が非流動的だったことがあげられます。転職が今ほど当たり前ではなかったため、働き手は企業に長くコミットすること、すなわち一社で長く働くことが合理的な選択となりました。事実、年功序列では若年時に給料が低かったとしても、高齢期には生産性よりも高い給料がもらえるため、従業員は長く働くインセンティブを持つようになります。また、1社で長く働くことが前提とされているため、従業員は長期的な視野で会社から教育を受けることができ、このことがひいては組織の生産性の向上にも資するものとなりました。

加えて、経営者側からすれば、人口拡大期(人口ボーナス)には相対的に高齢層が少ないため、全体としては生産性に比べて安い賃金で人を雇用できる(生産性の高い若年層を低賃金で雇える)というメリットがあったため、多くの日本企業が終身雇用と年功序列を基本としました。このことは日本の転職市場の脆弱性をさらに拍車をかけ、巡り巡って終身雇用、年功序列をさらに強固なものにさせました。

一方で、終身雇用、年功序列のレールから外れてしまった転職者、労働者は、日本の労働市場がうまく機能しなかったことから、能力があれば外資系企業への転職が可能であるものの、十分な能力がなければ終身雇用、年功序列と比較して、不安定な状況、条件で働かざるを得なくなったことが考えられます。

なぜ年功序列が機能しなくなったのか

このような日本企業の競争の源泉とも言われた終身雇用、年功序列がうまく機能しなくなったのはなぜでしょうか。以下に幾つか理由をあげてみます。第一にビジネス環境の変化があげられます。終身雇用、年功序列においては、若年層は生産性に比べて、低い賃金なものの、高齢期には生産性よりも高い賃金がもらえることを前提としています。この前提が可能となるのは、企業の競争環境が安定的な場合や市場が拡大している場合のみです。仮に市場が縮小している状況においては、若年層が賃金よりも高い生産性を発揮しようとも、高齢層による生産性を上回る賃金をカバーできなくなる可能性があります。

第二に少子高齢化の影響があげられます。少子高齢化が進めば、生産性よりも低い賃金しか支払わなくてもいい若年層が減る一方で、生産性よりも高い賃金を支払う高齢層が多くなってしまいます。この状況は賦課方式の年金と似ています。かつては5人の若者で1人の高齢者を支えていたのが、今後は2人の若者で1人の高齢者を支えることになることと同様の状況が年功序列、終身雇用を採用している企業でも起こってくるのです。

第三に高齢層のフリーライド問題及び組織全体としての生産性の低下が上げられます。高齢層は若年期に頑張った分、高齢期には生産性よりも高い賃金を高齢期にはもらえるので、十分に働かなくなるというインセンティブを持つようになります。いわゆるモラルハザードです。モラルハザードは「倫理観の欠如」といったような意味で使われる時もありますが、経済学においては必ずしも倫理的な問題のみを扱っているわけではありません。上述した状況において、高齢層からしたら生産性よりも高い賃金をもらえることが前提になっていることから、「働かないこと」が合理的な選択になるのです。場合によっては、「若い時に低い賃金でたくさん苦労して会社に貢献したのだから、今は大して働かなくても高い給料をもらうのは当然だ」と、自身の高給を正当化させる場合もあります。 なお、このような個人の行動としては合理的なものの、組織としては生産性が下がってしまうような状況を生み出してしまうことは、個人の倫理観の欠如に起因しているというよりも制度自体が問題といえます。

また、高齢層にモラルハザードが蔓延すると、若年層は働くモチベーションは下がってしまいます。なぜなら自分達よりも生産性が必ずしもそれ程高くないにもかかわらず、高給取りの高齢層が多くいると感じてしまうからです。

このように、終身雇用と年功序列の制度では若年層にとっても、高齢層にとっても働くインセンティブがマイナスに働いてしまうことがありえます。なお、気をつけていただきたい点は、ここでいっている高齢層の生産性が低いというは、もらっている給料に比べて低いという相対的なものということです。高齢層の絶対的な生産性が低いということを意味していない点は留意が必要です。

年功序列におけるフリーライド問題とモラルハザード問題

従業員の生産性について、情報の非対称性がある場合はさらに企業の生産性を下げるリスクがあります。会社における社内の他人の給料がわからないということは、仕事の成果、評価及び生産性もよくわからなくなってしまいがちです。一方で自身は自分の生産性と給料はともに把握することができています。このような状況で、自分の生産性がわかっているかつ、生産性の高い若年層は自身の生産性に見合った給料をくれるような外資系企業に転職するインセンティブをもちます。

他方、生産性の低い若年層と賃金に比べて生産性の低い高齢層は自分の給料が周りにわからないことをいいことに、生産性が低いままでも安定的な年功序列の給料を受け取り続けるインセンティブを持つようになります。このような状況がいきすぎてしまいますと、結果として給料に見合わない生産性の人ばかりの組織になってしまいます。すなわち、「悪化が良貨を駆逐する」状況、経済学で言うところの「逆選択」が生まれる可能性があるということです。

このようにビジネス環境の変化、少子高齢化、フリーライド問題・モラルハザード問題といった状況が続いた時、生産性の高い若者は次のような考えを持つようになるのは自然の成り行きといえます。

すなわち、「環境の変化が激しく、少子高齢化が進んでいるため、長期的に働いたとしても今の人たちのように高齢期に生産性よりも高い賃金を享受できるとは必ずしもできない。それなら転職していますぐ自分の生産性に見合った給料をもらう方が良いのではないか。実際、日産、パナソニック、シャープ、NEC東芝等の伝統的な日本企業も多くのリストラをしてきている。他方で、幸いにもかつてに比べて日本の転職市場は充実している。それならば、不確実性の高い年功序列の将来の給料のため、今の低い給料で我慢しながらやりたくない仕事をよりも、自分がやりたい仕事をいますぐに生産性に見合った賃金でやる方が良いのではないか」と。

日本の転職市場と企業の経営危機

ところで、日本において転職市場が充実した理由の一つとして、1990年代の後半の日本の金融危機や2010年以降の日本のメーカーの経営危機があげられます。1997年には山一証券が、そして1998年には日本長期信用銀行が破綻しました。それまで、日本においては護送船団方式の金融行政が行われていましたが、バブル崩壊の後遺症により多くの金融機関が破綻をしたり、経営危機を迎えました。その結果、金融機関が瀕死になったことで、終身雇用で雇われていた多くの優秀な金融マンが転職市場やベンチャー企業に流れ込んでいき*1、日本でも転職市場の厚みが増すこととなりました。また2008年にはベアスターンズやリーマンブラザーズが破綻したり、多くの外資系金融機関が日本の金融ビジネスから撤退したことで、多くの金融マンが転職市場に流れ込むこととなりました。金融業界以外では、2010年以降、日本のメーカーが経営危機に立たされ、多くのリストラがなされたとことで、これまで終身雇用、年功序列が一般的だった技術者が転職市場に流れ、中国や台湾系の企業に再就職する流れを後押ししました。

換言すると、年功序列、終身雇用といった状況を無理やり維持しようとしたものの、環境の変化等もあり企業側の体力が持たず、企業が経営危機に陥りリストラをすることで、日本の転職市場は大きくなってきたとも言えます。このことは結果として、終身雇用に代わって転職市場が雇用の受け皿になったとも考えられます。

優秀な人が辞める理由とは

以上のようにビジネス環境の変化は企業の雇用体系にも影響を与え、優秀な人ほど、自分の生産性に見合った給料をすぐにもらうために、また社内でくすぶるのではなくやりたいことをすぐにやるために、会社を辞めていくようになったものだと考えます。

いわゆる米系の外資系企業は、「grow or out」という言葉があるぐらいで、生産性が高ければそれに見合った給料を払う一方、期待に沿った働きができないとクビにするような雇用体系を用いています。さらに一層のリスクをとるのが、成功すれば大儲けでき、失敗すれば倒産をしてしまうベンチャー企業となります。

これらは終身雇用、年功序列の働き方とは対照的ですが、いつまで終身雇用と年功序列が保証されているかもわからず、高齢期にリストラをされる可能性があるぐらいならば、若年層が現時点で生産性に見合った給料をもらうのを希望することやストックオプション等により将来のアップサイドを期待することは、リスクリターンの観点から十分に説明がつくものだと考えられます。

実際、行動経済学の研究によれば、これまで経済学では想定されているよりも人は現在の価値を重きに置く傾向があることがわかってきました(双曲割引といいます)*2。今の世の中は1年後さえどうなるかわかりません。それならば、今後も永劫的に続くかどうかわからない終身雇用や年功序列にbetするよりも、今の自分の可能性に賭ける方が自分自身納得できるという人が出てくるのも頷けます。

なお、このような日本の労使関係の変化は必ずしも悪いとは限りません。むしろ、終身雇用、年功序列を未来永劫続ける方が企業にとっては困難ですし、企業にとっても現時点で若年層に対して、高齢期における生産性よりも高い給料を保証できる余裕もありません。

終身雇用、年功序列と対極に位置するのがプロジェクト単位での雇用です。現在ではテクノロジーの進化も相まって、資金はクラウドファンディングで調達し、人はクラウドソーシングで集めるといったことも珍しくなくなってきました。プロジェクト単位での雇用の給料はまさに生産性で決まるものです。今後はむしろこのような流れが加速していくのではないでしょうか。

まとめ

これまでの話を要約するといかの3点にまとめられます。

  • 日本の年功序列は若年期は生産性よりも低い賃金が、高齢期には生産性よりも高い賃金が支払われる仕組みである(ラジアの賃金モデル)。
  • 経済環境の変化、少子高齢化及び年功序列がもたらすフリーライド問題・モラルハザード問題等は年功序列を持続可能なものとしなくなった。
  • 将来の不確実性が高い状況において生産性が高い若者は、若年期に年功序列により生産性よりも低い給料に甘んじるよりも、すぐに生産性にみあった給料をもらえるような会社への転職をするようになる。また、日本における転職市場の拡大、外資系企業の参入、ベンチャー企業の勃興は終身雇用・年功序列のレールに乗らなくなった人たちの受け皿にもなっている。

今後の課題

最後に今回記載した記事についての課題を以下で述べます。

  • 優秀な人ほど先に辞めるというのはあくまで実感であり、実際の数値的なデータを確認できてはいない。そのため、数字的な裏付けも重要になってくる。
  • 上述のラジアの賃金モデルを使った説明は生産性と賃金の関係だけから若者が辞める理由を説明しているが、実際の退職の理由は賃金だけで決まるわけではない。
  • 高齢層でも転職をする人はいる。ラジアの賃金モデルに従えば、彼らは最初の企業にとどまっていれば今後生産性よりも高い給料をもらえる可能性があるにも関わらず辞めることを選択している。
  • 本記事は日本の年功序列の仕組みから生産性の高い若者が辞める原因を説明しているが、年功序列を採用していない外資系企業やベンチャー企業でも生産性の高い若者が辞める話は聞く。このような退職は自身の成長や仕事のやりがいによって起こっていると考えられるが、このような状況を説明できない。
  • 退職金、ボーナス、福利厚生の議論が捨象されている。
  • 資本水準や技術水準の変化が生産性に与える影響を捨象している。

なお、これらの説明が出来ないからといって経済学的な説明が意味をなさないというわけでは決してないと筆者は考えています。むしろ、論点を絞り賃金と生産性の関係だけに焦点をあてたことで、みえてくるものもあるかと思います。ただし、上述した課題について説明が出来ないことは事実なので、その点はさらなる議論が必要です。これら課題については引き続き考えを深めていきたいと思います。

*1:実際、長銀出身者は、起業をしてリサパートナーズ、ジェイウィルパートナーズ、グラックスアンドアソシエイツ、アセットマネージャーズ等のファンドや投資会社、コンサル会社を設立しています

*2:双曲割引を説明した行動経済学の本は多数ありますが、中でも以下の本は双曲割引により重点を置いて書かれています。

自滅する選択―先延ばしで後悔しないための新しい経済学

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