FEDで振り返る2017年
【FEDで振り返る2017年】
本年も残りわずかとなりました。今年も多くの方にFEDにご参加いただくことができました。ありがとうございます。2017年は合計20回の勉強会を開催しましたが、以下ではいくつか印象的な内容を振り返ります。
①約2年をかけて法と経済学勉強会を終了
2016年1月から開催してきた法と経済学勉強会を今年の11月に無事終了することができました。最終回では、翻訳者の東大の田中亘先生をお招きし、「上場会社のパラドックス」といったテーマで講演をしていただきました。また、ガバナンスと観点では、「ガバナンス改革 先を行く経営 先を行く投資家」の著者の一人である槙野さんをお招きし、プレゼンをしていただきました。2017年は20数年振りの株高となり、その理由はいくつかあるとは思いますが、その理由の一つして伊藤レポート、スチュアードシップコード、コーポレートガバナンスコードをはじめとしたガバナンス改革もあげられるかと思います。この動きは2018年もFEDとしても引き続きフォローしていきます。
- 作者: スティーブン・シャベル,田中亘,飯田高
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2010/01/26
- メディア: 単行本
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②粉飾決算関連
2017年は東芝の粉飾決算問題が大きく取り上げられましたが、その関連で、会見評論家の細野祐二さんを2度お招きし、それぞれの回で東芝の粉飾決算と新著である「粉飾決算VS会計基準」についてご講演をしていただきました。最近は日系企業の不祥事もニュースも多く取り上げられていますが、そう言った文脈と照らし合わせても、「なぜ粉飾決算は起こるのか」といったことについて、専門家の細野さんが興味深いお話を伺うことができました。
③国際経済学関連
2017年の最初の金融経済読書会は「移民の経済学」を取り上げました。また、移民問題に加え、TPP等の国際貿易の理解を深めるために、4年振りにクルーグマン国際経済学勉強会を再開しました。クルーグマン国際経済学勉強会はまだ3回しかできておりませんので、2018年も引き続き勉強会を続けていきます。
- 作者: ベンジャミンパウエル,Benjamin Powell,薮下史郎,佐藤綾野,鈴木久美,中田勇人
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2016/10/28
- メディア: 単行本
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クルーグマン国際経済学 理論と政策 〔原書第10版〕上:貿易編
- 作者: Paul R. Krugman,Maurice Obstfeld,Marc J. Melitz,山形浩生,守岡桜
- 出版社/メーカー: 丸善出版
- 発売日: 2017/01/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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毎年年末になると多くの経済雑誌等で「エコノミストが選ぶ経済図書」といったランキングが発表されます。今年FEDで取り上げた本も、いくつか取り上げられていたので、ご紹介します。
- 「原因と結果」の経済学(週刊ダイヤモンド「ベスト経済書」ランキング1位、日経新聞エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10第8位。4月に読書会を開催し、慶応大学大学院の博士課程の方をお招きし、プレゼンをしていただく。
金融に未来はあるか――ウォール街、シティが認めたくなかった意外な真実
- 作者: ジョン・ケイ
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2017/06/23
- メディア: Kindle版
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また、上記以外にも、2017年度にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーの著者である「行動経済学の逆襲」も読書会の課題本として取り上げました。
④2018年のFEDのフォーカス
2018年は労働市場に関連する勉強会に力を入れることを考えております。FEDの勉強会では何度かお話しさせていただいておりますが、マクロ経済市場は、財・サービス市場、金融市場、そして労働市場と3つの市場から成り立っています。そして、これらの市場は相互に影響をしています。そのため、未来の金融を考えるにあたって、労働市場の理解を深めることは非常に重要となります。
今年、法と経済学勉強会が終了したことで、次回の輪読の本は労働市場を組織の観点から分析している、ラジアの「人事と組織の経済学」を取り上げる予定です。補足ですが、「法と経済学」の輪読の前は、「組織の経済学」の輪読をやっており、その流れで「人事と組織の経済学」を課題図書として輪読を行うことにしました。
- 作者: ポール・ミルグロム,ジョン・ロバーツ,奥野正寛,伊藤秀史,今井晴雄,西村理,八木甫
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 1997/11/01
- メディア: 単行本
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- 作者: エドワード・P・ラジアー,マイケル・ギブス,樋口美雄,成松恭多,杉本卓哉,藤波由剛
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2017/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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加えて、現在は政府主導の「働き方改革」が注目されていますが、経済書においても労働経済関連の本が注目されています。具体的には、日経新聞エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10第1位の「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」、同2位の「働き方の男女不平等」、そして同4位の「日本の人事を科学する」等です。FEDでも、2018年最初の勉強会は労働をテーマとしており、1月20日に慶応大学の山本勲先生をお招きし、「働き方改革:日本人の働き方と労働時間」というテーマでご講演をしていただく予定です。また、若手エコノミストもお招きし、パネルディスカッションも行う予定です。参考図書はございますが、課題図書はないので、お気軽にご参加いただけますと幸いです。
https://www.facebook.com/events/1594532210585701/
以上、FEDで振り返る2017年でした。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
「現金の呪い」読書会_開催報告_2017年5月20日(土)金融経済読書会
5月20日(土)にケネス・S・ロゴフ著の「現金の呪い」読書会を開催しました。著者のハーバード大学教授のロゴフは、「国家は破綻する」で財政赤字が多い国の経済成長率は低い傾向になることやこれまで歴史的に多くの国がデフォルトしたことを指摘したことで有名です。そのロゴフが「現金の呪い」では、現金の使用が少なくなるレスキャッシュ社会について考察をしています。
- 作者: カーメン・M ラインハート,ケネス・S ロゴフ,Carmen M.Reinhart,Kenneth S.Rogoff,村井章子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2011/03/03
- メディア: 単行本
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今回の読書会では、「現金の呪い」にて解説を書かれている一橋大学大学院経済学研究科教授の齊藤誠先生、翻訳者の村井章子さん、そして編集の黒沢さんもお招きさせていただきました。
本書では、主に現金の使用が少なくなる社会、すなわちレスキャッシュ社会のあり方とレスキャッシュ社会において実現がより容易となるマイナス金利政策について書かれています。なお、最近話題のビットコインについても最後に少しだけ言及されていますが、本書においては主たる論点とはなっていません。
本書でいうレスキャッシュ社会とは、現金の使用割合が少なくなるような社会の事です。通常、キャッシュレスやキャッシュレス社会という場合は、現金を全く使わない状況のことを指しますが、本書ではこのような状況について分析をしているのではなく、あくまで現金の使用が残るような社会、レスキャッシュ社会についての分析を行っています。
私自身、普段決済を行うときは8割から9割は電子マネーのオートチャージもしくはクレジットカードを使っています。そのため、レスキャッシュ社会を実感しています。実際、日常における自販機、スーパーやコンビニでの買い物やカフェ、交通費の精算はほぼ電子マネーを使っています。現金を使わなければいけないのは電子マネーに対応をしていないお店での食事の精算やクリーニング屋での支払いぐらいです。
このような個人的な実感とは異なり、「現金の呪い」では、むしろ現金の使用率は増えていることが指摘されています。本書によれば、日本における通貨流通高(対GDP比)は18.61%となっており、イギリスの4.07%、やアメリカの7.38%を上回り、主要国の中でもトップに位置しています。また、通貨流通高合計に占める最高額紙幣の割合(日本では1万円)は88%となっており、この値はアルゼンチンに次いで2位となっています。すなわち、日本では1万円の流通量が他国と比較しても多いといえます。本書によれば、日本の計算上の一人当たり現金保有高(米ドル換算)は6,456ドルとなります。一般的な感覚としては、現金(紙幣)では一人あたり70万円近く保有していることはあまりイメージできません。
このような現金の流通の背後にあるのが、地下経済であることをロゴフは指摘しています。また地下経済の存在のせいで、国は税収が減っていることも述べています。本書では地下経済の活動をきちんと把握でき適切に税を徴収できれば、アメリカは連邦税だけで500億ドル、州税と地方税で200億ドルの増収が見込まれることを紹介しています(本書P111)。
上記を踏まえると、今後レスキャッシュ社会が進み、政府が適切に現金の動きを把握できるようになれば、非合法な取引や匿名性の高い現金での取引を認識できることで、政府は税収を増やすことができるといえます。本書での論点の一つがこの現金の匿名性による地下経済の拡大と現金の動きの把握、そしてキャッシュレス社会を実現するための段階的な紙幣の回収についての政策提案となります。
もう一つの論点がマイナス金利政策です。マイナス金利政策は日本でも2016年2月から導入されていますが、ここでいうマイナス金利は銀行の日銀当座預金の一部にマイナス金利がつくというもので、銀行と預金者との関係におけるマイナス金利はまだ実現されていません。
一定期間預金を使わない場合に、マイナス金利が銀行の預金に設定されたとします。その場合、預金者は現金を銀行に預けているにもかかわらず、金利を銀行に支払い必要が出てきます。それを避けるためには、マイナス金利がつく前に、預金を引き出して、現金を使わざるをえなくなります。このような仕組みで、銀行預金へのマイナス金利は消費の増加を通じて経済活動を活性化させることが可能となります。
もちろん、このようなマイナス金利が機能するには、現金の流通が「少ない」という状況が必要です。なぜならば、仮に銀行預金にマイナス金利がつくならばみんな現金(紙幣)を保有するインセンティブを持つようになり、現金が大量に流通しているならば、銀行預金を通じたマイナス金利は実現されないからです。そのため、マイナス金利政策を通じて景気を刺激するためには、レスキャッシュ社会が必要になるということになります。
本書では、ケインズやゲゼルによって主張された古典的なマイナス金利政策から始まりハーバード大のマンキュー教授が紹介した現代風のマイナス金利政策まで、幅広くマイナス金利の可能性について解説されています。
読書会当日には、齊藤誠先生に「現金の呪い」を読まれたご感想と紙幣の本質的な機能に関してご講演をしていただきました。私が特に印象に残ったのは、「中央銀行券は、発行と同時に回収が定められている」というお話でした。
当たり前の話ですが、銀行が企業に融資を行った場合、企業のバランスシートには「借入金」という負債が計上されるとともに、銀行のバランスシートには「貸出金」という資産が計上されることになります。同様に、人が銀行に預金を預けると、銀行のバランスシートには負債という形で「預金」が計上されます。一方、家計のバランスシートには、「預金」が資産に計上されることになります。銀行がお金を貸し出した場合をイメージすれば理解しやすいかと思いますが、銀行の貸出には必ず満期が存在し、銀行は満期までに貸したお金を回収する必要があります。家計が銀行に預金を預けた場合も、銀行預金に満期自体はありませんが、家計が預金の引き出しを請求した場合は、必ず銀行は引き出しに応じなければいけません(そのため、銀行は一定割合の預金準備を義務付けられています。)。
上記の例では「預金」を使いましたが、我々が日常使っている紙幣、すなわち日本銀行券についても同じことが言えます。日銀が日本銀行券を発行した場合、日銀は負債を負うこととなります。そして、負債であるがゆえに、いつかは回収しなければなりません。このことが、上述した「中央銀行券は、発行と同時に回収が定められている」ということになります。そうなると、紙幣が回収され「レスキャッシュ社会」がいつか到来するということ自体はある意味で当然とも言えます。
ご講演では、その他紙幣の起源としての手形、国債と金融政策、マーシャルのk等、紙幣について幅広い歴史的な視点も含めてご説明していただきました。地下経済のあり方について、ロゴフと違った視点として、齊藤先生は「戦後において日本が復興できたのは、材料等のストックが多く残っていたからであり、本当に価値のあるものは、地下経済(例えば闇市)で取引され適切に保管されていた可能性がある」とおっしゃっていました。平時においては、地下経済は犯罪や非合法な取引の温床となりえますが、有事においては、マーケットが適切に機能しなくなる一方、地下経済は通常のマーケットの保管的な役割を果たすことができる可能性があります。そして、本当に価値のあるものが地下経済における価格メカニズムで取引され、保管されることもあるということだと思いました。この点は、完全に見落としていた視点なので、非常に学びが多かったです。
ご講演の後は、グループに分かれて、フリーディスカッションを行いました。参加者からは「現金が持つ匿名性ゆえに犯罪に使われているという実感はあまり湧かない。」「最近確かに現金は使わなくなっている。」「ビットコインが今後発展していくものかと思っていたが、ビットコインは価値の安定性で問題があり、通貨になるのは難しいのではないかと感じた。」「レスキャッシュ社会は現金の匿名性という点で有利に働く脱税者や犯罪者には生きづらい社会だが、普通に生きていればむしろメリットの方がいいのではないか。ブロックチェーンは取引履歴が全て残るので現金の匿名性とは正反対に位置しているし、今後ビットコインが普及すればむしろ全ての取引履歴は可視化されることとなる。最近のマネーフォワードやマネーツリーも個人資産の可視化に寄与しているし、レスキャッシュ社会が進めば進むほど、取引の可視化が進むと思う。」等多くの意見が出ました。
完全なるキャッシュレス社会が到来するのはまだ先だとは思われますが、テクノロジーが進化すればする分、レスキャッシュ社会の到来はより近づいていくものと思われます。そうなった時に現金はどう言った役割を果たすのか、一部は現金としては残るのか、それとも完全に紙幣は歴史的な役割を終えるのか、こういったことを考えるのに様々な示唆を本書は与えてくれます。齊藤先生も「本当に良い本は答えを教えてくれるのではなく、いろいろと考えを巡らせてくれる」とおっしゃっていました。本書はまさに考えを巡らせるのに適した本だと思われます。
「原因と結果の経済学」読書会_開催報告_2017年4月30日(日)金融経済読書会
2017年のGWの真っ只中に「原因と結果の経済学」(以下、本書)の読書会を開催しました。本書は、著者の一人が「学力の経済学」の著者である中室先生であり、「教育の経済学」と同様に世間で誤認されがちな事象を因果推論の視点から解き明かす内容となっています。
本書における因果推論の例としては「メタボ健診を受けていれば長生きするのか」「テレビを見せると子供学力は低下するのか」「偏差値の高い大学へ行けば収入が上がるのか」等が取り上げられております。これらの関係については学術的な研究では全て因果関係は「ない」ことが実証されています。
また本書で解説されている手法としては、「ランダム化比較試験」、「自然実験」、「差の差分析」、「操作変数法」、「回帰不連続実験」、「マッチング法」等が挙げられます。これらは全て計量経済学(特にパネルデータ等を用いてミクロ計量経済学)でよく使われる手法であり、計量経済学の教科書を一から読んだ場合には、これらの手法にたどり着くまでに相応の時間を要するもの(学部上級〜大学院レベル)ですが、本書では難しい数式を全く使わずにエッセンスがわかりやすく解説されています。
計量経済学を使って実証分析をしている人からすれば本書の内容はそれ程目新しいものではないかもしれませんが、計量経済学や統計学に馴染みがない人にとっては統計のプロや経済学者がどういったデータをつかってどういった分析をしているのかを手軽に知られる本となっています。また因果推論について体系的にまとめられていることから、実際に実証分析をしている人にとってもミクロ計量経済学の学習内容の全体像を把握するのに良い機会になるかと思います。
読書会当日は慶応義塾大学の博士課程で統計学を専攻している中村知繁さんをお招きし、因果推論についてプレゼンをしていただきました。FED事務局(の中の人)は中村さんとは5年ぐらい前に知り合いましたが、当時中村さんは統計学を専攻したばかりの大学3年生で、どちらかというと関心はデザインシンキング等の右脳的なところにあったように当時は思っていました。ですが、今回の因果推論のプレゼンを見て改めて「理系な人なんだ」と実感しました。また統計を専攻しているものの、経済は専門ではないことから、計量経済学を学んだ人よりも統計的な視点はより厳密だとプレゼンを聞きながら感じました(中村さんの論文としては「野球の犠牲バントは得点に結びつくのか」を統計的に解析したもの等があります。)。他方、中村さんからすると「経済の人は理工系の統計の人達があまり使わないような変わった手法を使うな」という感じもあったようです。
中村さんのお話で印象的だったのは「データを持っている企業がデータだけを持ってきて『データがあるのでなんか分析してください』という話が結構多い」というものでした。もちろん生のデータを分析して、使えるデータに仕上げるのが統計のプロの仕事ではありますが、依頼側に「どういった目的」で「どういった分析をしたいのか」等の目的意識がないと統計のプロも何も出来ないようです。
例えば本書で因果推論を行う上で最も重要な手法として「ランダム化比較試験」の解説がされていますが、「ランダム化比較試験」を行うには、事前のサンプルの取り方やグルーピングの仕方、処置グループをどのように設計するかがとても重要になってきます。そのため、統計のプロに依頼をする場合、依頼者は「どう言った仮説を想定しているのか」、「説明変数としては何が適切なのか」を統計のプロに説明する必要があります。よって、ビジネスや政策で統計を使うにあたっては統計のプロと依頼者が適切にコミュニケーションをする必要が出てくるので、依頼者側にも相応の統計に関する知識が求められると言えます。
例として、本書と同様の範囲でデータ分析について解説がなされている「データ分析の力」(下記リンクご参照)という本では、電力価格フィールド実験として北九州市で行われた「電力価格の値上げが電力需要にどれだけの影響があるのか」についての実証分析の解説がなされています。
この実験は、同書の著者である伊藤先生ら経済学者、経済産業省、北九州市、新エネルギー導入促進協議会、新日鉄住金、富士電機等の産学官連合の共同事業で実現したものです。この実証分析では、電力価格の需要に影響する変数として「部屋数、占有面積、エアコン数、テレビ数、世帯数、世帯主の平均年齢、所得階層」等が使われています。経済学者はこれらの変数をコントールして、ランダム化比較試験を行うことになりますが、おそらくこういったデータ(電力需要に影響を与える変数)の必要性は経済学者が指摘したのではなく、電力事業に関わっている人達の知見から選ばれたものと思われます。すなわち、上記の実証分析を行ったのは経済学者ではありますが、電力に影響のあるデータ等の提供は共同事業者によって行われることとなります。この話は中村さんがおっしゃった「データがあるんでなんか分析してください」とは対照的で、事前にどういった仮説でどういった分析を行うべきかが共同事業者によって、緻密に分析されていると言えます。
当日の参加者からは「ビジネスでも(将来的には)ビックデータや統計を扱いたい」といった声が非常に多かったですが、実際にビジネスで大量のデータを扱う際に、統計の解析を行うのは統計のプロだとしても、解析が行われる前段階における事前準備、料理でいうところの下処理はビジネスや政策の現場の人が行うことが必要となります。必要なデータの下処理を行うとともに、統計のプロから追加で必要と言われるデータを準備することで初めてデータを使った効果的な分析ができるようになります。このように統計のプロとビジネスや政策の現場の人が協働を行うには、現場の人達にも「統計を使って何ができて、何ができないのか」を知ることがとても重要になってきます。本書はこのことを知る入り口として、まずは因果関係と相関関係の違いを理解するとともに、因果推論にはどのような手法があるのかを知るのに非常に有益な内容となっております。また、本書を読んでデータ分析に興味を持たれた方は、併せて伊藤先生の「データ分析の力」も読むことをお勧めします。
これまでもFEDでは因果推論が使われている本を結構扱ってきました(例えば「貧乏人の経済学」、「0ベース思考」、「学力の経済学」「徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」等)が、その背後にある因果推論のロジックを学ぶことは、今後データ分析が行なわれている本を読むにあたっての生産性を上げるために、とても肝要だと思われます。
最後になりましたが、ご出席された皆様並びにプレゼンをしてくださった中村さんに改めて御礼申し上げます。FEDでは今後も計量経済学の分析がされた本を扱っていくことになろうかと思いますが、本書は計量経済学の分析がされている本を読むにあたっての基礎知識を提供してくださるとても良い本であることを皆様との議論を通じて再認識した次第です。
第1回クルーグマン国際経済学勉強会_開催報告_2017年4月2日(日)
4月2日に第1回クルーグマン国際経済学勉強会を開催いたしました。クルーグマン国際経済学に関する勉強会は2013年1月にも開催して10回ぐらい続けたのですが、途中から他の勉強会との兼ね合いで開催が3年程できておりませんでした。一方で、去年のBrexitやトランプ大統領誕生において貿易問題がイシューになったり(保護貿易はどこまで正当化されるのか、保護貿易を通じて本当にアメリカは利益を得るのか)、また、クルーグマン国際経済学の原著である「International Economics Theory and Policy」10版が新たに発売されるとともに、日本語版も発売されたこと等もあり、この度もう一度最初から輪読を開催するに至りました。
クルーグマン国際経済学 理論と政策 〔原書第10版〕上:貿易編
- 作者: Paul R. Krugman,Maurice Obstfeld,Marc J. Melitz,山形浩生,守岡桜
- 出版社/メーカー: 丸善出版
- 発売日: 2017/01/19
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参考資料等
今回使用したプレゼンテーション資料
2013年1月時の勉強会で使用した資料
アランブラインダーによって2006年にForeign Affairsに投稿された「Offshore」の記事の原型となる論文です。https://www.princeton.edu/~blinder/papers/05offshoringWP.pdf
参考文献に載っている重力モデルに関する便利なガイドです。 Keith Head(2003)”Gravity for Beginners∗” http://www.forschungsseminar.de/ipw/gravity.pdf
一万円と二万円のどちらが欲しいですか
「1万円と2万円のどちらかをもらえる場合、どちらを選びますか」
このような質問をされた時、ほとんどの人が2万円を選択するものと思います。答えるまでもない質問でしょう。では、次の質問はどうでしょうか。
「今すぐ1万円をもらえるのと5年後に2万円をもらえるのはどちら選びますか。」この質問になるととたんに判断は難しくなります。人によっては今すぐ1万円を欲しい人がいるかもしれませんし、運用利回りの観点から5年後の2万円を選ぶ人もいらっしゃるかもしれません。
このように「AとBのどちらがいいか」という質問と「今のAと将来のBのどちらがいいか」という質問は本質的に別のものとなります。日常において似たような例に我々は多く直面します。学生ならば夏休みの宿題を夏休みが始まった直後にすぐ始めるのか、もしくはギリギリまで先延ばしをしてしまうのか等がありますし、社会人においては頼まれた仕事をすぐするのか、今日はせずに別のことをやるのか等があげられます。
宿題にしろ、仕事にしろ、最終的には取り組むということ自体は同じのですが(宿題や頼まれた仕事をしないという意思決定ももちろんありえますが、そのことは捨象します)、先にやるのか後でやるのかで精神的な負担の感じ方も代わってきますし、実際の行動の時間差が別の行動や意思決定にも影響がする可能性もあります。
このような時間の選択(異時点間選択)において、どれだけ「現在を重視しているのか」ということは、経済学では時間割引率という概念で表されます。現在をより重視している場合は、時間割引率が高いということになります。
そして、行動経済学は「時間割引率は従来の経済学で想定されていたものよりも高い(人は現在を重視しがちである)」ということを実験で示しまた。すなわち、人は現在を重視しがちということです。例えば、ダイエットをしなければならないがいまケーキを食べたい、そろそろ勉強をしなければならないが今見ているテレビが面白いのでそのままテレビを見たい、夏休みの宿題をやらなければならないが今は遊びたいので先延ばしにする、そして5年待てば倍の2万円がもらえるものの今の1万円が欲しいというようにです。このような意思決定が現在にバイアスをかかってしまうようなことを説明する概念が「双曲割引」と言われています*1。
行動経済学が示した重要なメッセージは「人は現在を重視する傾向にある」こと、そして「現在を重視するがゆえに、合理的に説明がつかないような行動をすることがある」ということです。個人単位ではダイエットや勉強、仕事といった話になりますが、これを国単位や企業単位で見た場合、将来に後回しをするのではなく、今すべきことが、現在の惰性を重視することで先延ばしされる可能性があるということです。国で言えば、消費増税、企業で言えば組織改革等がそれに当たります。
「我々は現在を重視しがちである」といったことを踏まえた上で、現在を重視するがゆえに陥ってしまう先延ばしの罠に対して、どう対応すべきかを考えることが我々にとって重要です。そして、その対応の一助となるのがまさに経済学だと考えます。
なぜ優秀な人から先に会社を辞めるのか 後編
前回はラジアの賃金モデルを使って、若年層は生産性よりも低い賃金となる一方で高齢期には生産性よりも高い賃金がもらえるという年功序列の仕組みについて説明を行いました。今回はこの年功序列の仕組みが結果的には「優秀な人ほど先に会社を辞める」現象を生み出している可能性があることについて書きます。
- 終身雇用と年功序列が機能した背景
- なぜ年功序列が機能しなくなったのか
- 年功序列におけるフリーライド問題とモラルハザード問題
- 日本の転職市場と企業の経営危機
- 優秀な人が辞める理由とは
- まとめ
- 今後の課題
終身雇用と年功序列が機能した背景
そもそも終身雇用と年功序列が機能した理由として日本を取り巻く環境の特殊性があります。まず日本の労働市場が非流動的だったことがあげられます。転職が今ほど当たり前ではなかったため、働き手は企業に長くコミットすること、すなわち一社で長く働くことが合理的な選択となりました。事実、年功序列では若年時に給料が低かったとしても、高齢期には生産性よりも高い給料がもらえるため、従業員は長く働くインセンティブを持つようになります。また、1社で長く働くことが前提とされているため、従業員は長期的な視野で会社から教育を受けることができ、このことがひいては組織の生産性の向上にも資するものとなりました。加えて、経営者側からすれば、人口拡大期(人口ボーナス)には相対的に高齢層が少ないため、全体としては生産性に比べて安い賃金で人を雇用できる(生産性の高い若年層を低賃金で雇える)というメリットがあったため、多くの日本企業が終身雇用と年功序列を基本としました。このことは日本の転職市場の脆弱性をさらに拍車をかけ、巡り巡って終身雇用、年功序列をさらに強固なものにさせました。
一方で、終身雇用、年功序列のレールから外れてしまった転職者、労働者は、日本の労働市場がうまく機能しなかったことから、能力があれば外資系企業への転職が可能であるものの、十分な能力がなければ終身雇用、年功序列と比較して、不安定な状況、条件で働かざるを得なくなったことが考えられます。
なぜ年功序列が機能しなくなったのか
このような日本企業の競争の源泉とも言われた終身雇用、年功序列がうまく機能しなくなったのはなぜでしょうか。以下に幾つか理由をあげてみます。第一にビジネス環境の変化があげられます。終身雇用、年功序列においては、若年層は生産性に比べて、低い賃金なものの、高齢期には生産性よりも高い賃金がもらえることを前提としています。この前提が可能となるのは、企業の競争環境が安定的な場合や市場が拡大している場合のみです。仮に市場が縮小している状況においては、若年層が賃金よりも高い生産性を発揮しようとも、高齢層による生産性を上回る賃金をカバーできなくなる可能性があります。
第二に少子高齢化の影響があげられます。少子高齢化が進めば、生産性よりも低い賃金しか支払わなくてもいい若年層が減る一方で、生産性よりも高い賃金を支払う高齢層が多くなってしまいます。この状況は賦課方式の年金と似ています。かつては5人の若者で1人の高齢者を支えていたのが、今後は2人の若者で1人の高齢者を支えることになることと同様の状況が年功序列、終身雇用を採用している企業でも起こってくるのです。
第三に高齢層のフリーライド問題及び組織全体としての生産性の低下が上げられます。高齢層は若年期に頑張った分、高齢期には生産性よりも高い賃金を高齢期にはもらえるので、十分に働かなくなるというインセンティブを持つようになります。いわゆるモラルハザードです。モラルハザードは「倫理観の欠如」といったような意味で使われる時もありますが、経済学においては必ずしも倫理的な問題のみを扱っているわけではありません。上述した状況において、高齢層からしたら生産性よりも高い賃金をもらえることが前提になっていることから、「働かないこと」が合理的な選択になるのです。場合によっては、「若い時に低い賃金でたくさん苦労して会社に貢献したのだから、今は大して働かなくても高い給料をもらうのは当然だ」と、自身の高給を正当化させる場合もあります。 なお、このような個人の行動としては合理的なものの、組織としては生産性が下がってしまうような状況を生み出してしまうことは、個人の倫理観の欠如に起因しているというよりも制度自体が問題といえます。
また、高齢層にモラルハザードが蔓延すると、若年層は働くモチベーションは下がってしまいます。なぜなら自分達よりも生産性が必ずしもそれ程高くないにもかかわらず、高給取りの高齢層が多くいると感じてしまうからです。
このように、終身雇用と年功序列の制度では若年層にとっても、高齢層にとっても働くインセンティブがマイナスに働いてしまうことがありえます。なお、気をつけていただきたい点は、ここでいっている高齢層の生産性が低いというは、もらっている給料に比べて低いという相対的なものということです。高齢層の絶対的な生産性が低いということを意味していない点は留意が必要です。
年功序列におけるフリーライド問題とモラルハザード問題
従業員の生産性について、情報の非対称性がある場合はさらに企業の生産性を下げるリスクがあります。会社における社内の他人の給料がわからないということは、仕事の成果、評価及び生産性もよくわからなくなってしまいがちです。一方で自身は自分の生産性と給料はともに把握することができています。このような状況で、自分の生産性がわかっているかつ、生産性の高い若年層は自身の生産性に見合った給料をくれるような外資系企業に転職するインセンティブをもちます。
他方、生産性の低い若年層と賃金に比べて生産性の低い高齢層は自分の給料が周りにわからないことをいいことに、生産性が低いままでも安定的な年功序列の給料を受け取り続けるインセンティブを持つようになります。このような状況がいきすぎてしまいますと、結果として給料に見合わない生産性の人ばかりの組織になってしまいます。すなわち、「悪化が良貨を駆逐する」状況、経済学で言うところの「逆選択」が生まれる可能性があるということです。
このようにビジネス環境の変化、少子高齢化、フリーライド問題・モラルハザード問題といった状況が続いた時、生産性の高い若者は次のような考えを持つようになるのは自然の成り行きといえます。
すなわち、「環境の変化が激しく、少子高齢化が進んでいるため、長期的に働いたとしても今の人たちのように高齢期に生産性よりも高い賃金を享受できるとは必ずしもできない。それなら転職していますぐ自分の生産性に見合った給料をもらう方が良いのではないか。実際、日産、パナソニック、シャープ、NEC、東芝等の伝統的な日本企業も多くのリストラをしてきている。他方で、幸いにもかつてに比べて日本の転職市場は充実している。それならば、不確実性の高い年功序列の将来の給料のため、今の低い給料で我慢しながらやりたくない仕事をよりも、自分がやりたい仕事をいますぐに生産性に見合った賃金でやる方が良いのではないか」と。
日本の転職市場と企業の経営危機
ところで、日本において転職市場が充実した理由の一つとして、1990年代の後半の日本の金融危機や2010年以降の日本のメーカーの経営危機があげられます。1997年には山一証券が、そして1998年には日本長期信用銀行が破綻しました。それまで、日本においては護送船団方式の金融行政が行われていましたが、バブル崩壊の後遺症により多くの金融機関が破綻をしたり、経営危機を迎えました。その結果、金融機関が瀕死になったことで、終身雇用で雇われていた多くの優秀な金融マンが転職市場やベンチャー企業に流れ込んでいき*1、日本でも転職市場の厚みが増すこととなりました。また2008年にはベアスターンズやリーマンブラザーズが破綻したり、多くの外資系金融機関が日本の金融ビジネスから撤退したことで、多くの金融マンが転職市場に流れ込むこととなりました。金融業界以外では、2010年以降、日本のメーカーが経営危機に立たされ、多くのリストラがなされたとことで、これまで終身雇用、年功序列が一般的だった技術者が転職市場に流れ、中国や台湾系の企業に再就職する流れを後押ししました。
換言すると、年功序列、終身雇用といった状況を無理やり維持しようとしたものの、環境の変化等もあり企業側の体力が持たず、企業が経営危機に陥りリストラをすることで、日本の転職市場は大きくなってきたとも言えます。このことは結果として、終身雇用に代わって転職市場が雇用の受け皿になったとも考えられます。
優秀な人が辞める理由とは
以上のようにビジネス環境の変化は企業の雇用体系にも影響を与え、優秀な人ほど、自分の生産性に見合った給料をすぐにもらうために、また社内でくすぶるのではなくやりたいことをすぐにやるために、会社を辞めていくようになったものだと考えます。
いわゆる米系の外資系企業は、「grow or out」という言葉があるぐらいで、生産性が高ければそれに見合った給料を払う一方、期待に沿った働きができないとクビにするような雇用体系を用いています。さらに一層のリスクをとるのが、成功すれば大儲けでき、失敗すれば倒産をしてしまうベンチャー企業となります。
これらは終身雇用、年功序列の働き方とは対照的ですが、いつまで終身雇用と年功序列が保証されているかもわからず、高齢期にリストラをされる可能性があるぐらいならば、若年層が現時点で生産性に見合った給料をもらうのを希望することやストックオプション等により将来のアップサイドを期待することは、リスクリターンの観点から十分に説明がつくものだと考えられます。
実際、行動経済学の研究によれば、これまで経済学では想定されているよりも人は現在の価値を重きに置く傾向があることがわかってきました(双曲割引といいます)*2。今の世の中は1年後さえどうなるかわかりません。それならば、今後も永劫的に続くかどうかわからない終身雇用や年功序列にbetするよりも、今の自分の可能性に賭ける方が自分自身納得できるという人が出てくるのも頷けます。
なお、このような日本の労使関係の変化は必ずしも悪いとは限りません。むしろ、終身雇用、年功序列を未来永劫続ける方が企業にとっては困難ですし、企業にとっても現時点で若年層に対して、高齢期における生産性よりも高い給料を保証できる余裕もありません。
終身雇用、年功序列と対極に位置するのがプロジェクト単位での雇用です。現在ではテクノロジーの進化も相まって、資金はクラウドファンディングで調達し、人はクラウドソーシングで集めるといったことも珍しくなくなってきました。プロジェクト単位での雇用の給料はまさに生産性で決まるものです。今後はむしろこのような流れが加速していくのではないでしょうか。
まとめ
これまでの話を要約するといかの3点にまとめられます。
今後の課題
最後に今回記載した記事についての課題を以下で述べます。
- 優秀な人ほど先に辞めるというのはあくまで実感であり、実際の数値的なデータを確認できてはいない。そのため、数字的な裏付けも重要になってくる。
- 上述のラジアの賃金モデルを使った説明は生産性と賃金の関係だけから若者が辞める理由を説明しているが、実際の退職の理由は賃金だけで決まるわけではない。
- 高齢層でも転職をする人はいる。ラジアの賃金モデルに従えば、彼らは最初の企業にとどまっていれば今後生産性よりも高い給料をもらえる可能性があるにも関わらず辞めることを選択している。
- 本記事は日本の年功序列の仕組みから生産性の高い若者が辞める原因を説明しているが、年功序列を採用していない外資系企業やベンチャー企業でも生産性の高い若者が辞める話は聞く。このような退職は自身の成長や仕事のやりがいによって起こっていると考えられるが、このような状況を説明できない。
- 退職金、ボーナス、福利厚生の議論が捨象されている。
- 資本水準や技術水準の変化が生産性に与える影響を捨象している。
なお、これらの説明が出来ないからといって経済学的な説明が意味をなさないというわけでは決してないと筆者は考えています。むしろ、論点を絞り賃金と生産性の関係だけに焦点をあてたことで、みえてくるものもあるかと思います。ただし、上述した課題について説明が出来ないことは事実なので、その点はさらなる議論が必要です。これら課題については引き続き考えを深めていきたいと思います。
なぜ優秀な人から先に会社を辞めるのか 前編
第1回目となる今回のテーマは「なぜ優秀な人から先に会社を辞めるのか」です。優秀な人から先に辞めるということについて客観的なデータのようなものは見つけられていませんが、会社で長く働き残っている人が、自虐的に「優秀な同期はみんな会社を辞めてしまった」という会話はよく耳にします。また、プロ論*1という本があるのですが、ここに出てくる人達はほぼ全員が転職経験者です。こういった事実から優秀な人から会社を辞めていくということは実際に起こってそうです。
今回はラジアの賃金モデル*2からなぜこのような現象が 日本で起こっているのかを説明したいと思います。
上述したように通常は、賃金は生産性によって決まります。資本水準及び技術水準を一定と仮定した場合、働き始めたばかりの新人の生産性は低いものの、働く期間が長くなれば生産性はあがっていきます。一方で、生産性は天井なしに上がるものではなく、ある程度経てば頭打ちします。また、加齢からくる体力の衰えや記憶力の低下により生産性が落ちることもあります。もちろん、ベテランになることで、これまでの経験や人脈を生かすことで生産性が継続的に上がることも考えられなくはないですが、ここでは、時間とともに生産性の上昇は低減していくものと考えます。
他方、終年功序列を前提とした場合、働く期間とともに常に賃金は上がっていきます。なぜこのような賃金体系が可能なのでしょうか。
ここで働く期間を若年期と高齢期の2期間で考えてみます。通常では若年期であろうが、高齢期であろうが、賃金は生産性に一致します。しかしながら、年功序列では、若年時は生産性よりも「低い」賃金しか労働者は もらえないものの、高齢期になれば生産性よりも「高い」賃金をもらえるような設計をしているものと考えられます。このようなコンセプトがラジアの賃金モデルです。以下のグラフは横軸に労働年数、縦軸に賃金/ 生産性を取ったもので、ラジアの賃金モデルを可視化したものです。赤い線は生産性と賃金が一致しているケース、青い線はラジアの賃金モデル(年功序列における賃金)を表現したものです。グラフからわかる通り、若年期においては青い線(賃金)は赤い線(生産性)を下回るものの、高齢期においては、青い線は赤い線を上回ります。
ラジアの賃金モデルによる雇用体系では雇用主、労働者はにとってどのようなインセンティブが生まれてくるのでしょうか。まず若年期は賃金が低いものの、高齢期になれば高い賃金をもらえるので、若年期だけ働いて会社を辞めるということは働き手にとっては給料面で不利に働きます。よって、若年期の頃の賃金を取り戻すために、労働者は長く働こうとするインセンティブを持ちます。このことは経済学ではホールドアップ問題ともいいます。すなわち、労働者がある程度の期間を企業で働くことにコミットしてしまうと、簡単には企業をやめにくくなる状況になるということです。優秀な人材を長期間雇いたい雇用主からするとこれはメリットが大きいです。また、雇い手側からしたら働き手が長期間企業に留まってくれるので、長期的な視野で経営や人材育成をできるといったメリットもあります。
加えて、年功序列により若年期は生産性よりも低い賃金、高齢期は生産性よりも高い賃金をもらえるということは、見方を変えれば、世代間の所得移転、すなわち年金のような仕組みともいえます。そのため、働き手からしたら高齢になっても安心して働けるとともに、給料を安定的にもらえるというメリットがあります。
上述したメリットがあり、また日本的経営の競争力の源泉の一つとなっていた終身雇用、年功序列の仕組みですが、この仕組みにおいて、なぜタイトルのように優秀な人から会社を辞めていくのでしょうか。次回はその核心に迫りたいと思います。
*1:
*2:Edward P. Lazear(1981),” Agency, Earnings Profiles, Productivity, and Hours Restrictions”, American Economic Review , Vol. 71, No. 4 (Sep., 1981), pp. 606-620